VISON Beautiful Village in TAKIVISON Beautiful Village in TAKI

時代も国籍も超えた、アノニマスな食の道具をアートのように楽しむ空間
〈KATACHI museum〉が目指すもの

時代も国籍も超えた、アノニマスな食の道具をアートのように楽しむ空間
〈KATACHI museum〉が目指すもの

続きを読む

VISONの広大な敷地内を歩いていると、ふと目に止まる、他とは一線を画した独特の雰囲気を持つ建物がある。遠くから見ると、まるでヨーロッパの小さな田舎町にでもありそうな、素朴で無骨な納屋だか馬小屋のようにも見えるが、かといって装飾も何もない極力最小限な様子は、どこかモダンでクールな印象も与える。ありそうで何処にも無い、どの国のいつの時代かも解らない、想像の中で描かれた架空建築のような、妙に気持ちをざわつかせ、イマジネーションを掻き立てる不思議な建造物が、このエリアの中でひときわ異彩を放っている。

20210402_00058_2_8.jpg


建築も展示も、陶芸家・造形作家の内田鋼一が全体をプロデュース

全面を黄土色の土壁に覆われたこの建物は、陶芸家・造形作家の内田鋼一がプロデュースしたミュージアムだ。〈カタチミュージアム〉と名付けられ、古今東西の食にまつわる道具を展示すると聞いてはいたが、実際のところは一般的な美術館や博物館とは一味違うようだ。外観が既に、ミュージアムというイメージをぶち壊す。土壁を作ったのは、左官である西川和也率いる「工房カズ」。伊勢神宮をはじめとする神社仏閣や、商業施設から個人宅までのあらゆる左官仕事を担っているプロ集団であるが、西川にとっても、このような仕事は初めての経験だったという。土壁をよく見ると、全て均一で一切目地がない。昔ながらの伝統的技術を駆使し、足場を計画的に組んで、休むことなく一息に仕上げる。腕のある職人を全国から集め、作業はかなり困難を要したそうだが、やり終えた後はみんな爽快な顔をして帰って行ったという。

そしてVISONの建物全体にも言えるのだが、ここはもともと「雨を風景化する」というコンセプトがあり、実は雨樋がない。雨は直接土壁にあたり、次第に朽ちてひび割れ、風化していく。この土地の気候風土と時間の流れが、土壁の表情を少しずつ変化させるのである。時が経つほどにしっくりと馴染んで味わいが深まり、建物の佇まいが土地の歴史を物語る。 

20210402_00025_2_9.jpg

20210402_00032_1_6.jpg
20210402_00022_1_4.jpg


〈カタチミュージアム〉設立のきっかけはオープンの5年ほど前からあった。VISON全体の大きなテーマの一つは豊かな食文化であり、食に関する道具のためのエリアを作ろうという話が出た時、内田に白羽の矢が当たった。陶芸家という肩書を持つ内田だが、実際はそれだけには収まらない。陶芸ではもちろん食にまつわる器も作るが、壁面に使うような建築的要素の大きい陶版や、モニュメント的なオブジェも制作する。鉄工所を営む家に生まれ、素材を問わず、ものづくりには精通している。さらに2015年には三重県四日市市で「BANKO archive design museum」を立ち上げ、自らが運営する。地元の伝統工芸である萬古焼にスポットを当て、アーカイブした小さなミュージアムで、展示のキュレーションも内田自身が行っている。近年では建物全体のプロデュースも多く手掛けており、2020年に菰野町にオープンした美術館のような隠れ宿「素粋居(そすいきょ)」では、建築・デザインの監修とアートキュレーションを行った。「特に陶芸家にこだわってもいないし、自分でも何者なのか分からない」と本人は笑う。


独自の目線で選ばれた、時代も国籍も多様な食の道具が、アートのように佇む

20210402_00047_2_3.jpg

VISONでの最初の計画は、食にまつわる道具を作るためのアトリエの設立だったという。その後計画が進むにつれて何度も練り直され、最終的に陶芸の工房を作ることにはなったが、それとは別に、食文化発信の役割を担うこの場所で、地域の価値を高めるために、商業メインではない教育的要素を持った文化施設をつくる必要性が問われた。

「自分は雑誌で工芸や骨董などについて執筆することも多く、萬古焼のミュージアムも運営していたことで声をかけていただきました。そこで、ここでやるならVISONという場所の存在価値を際立たせるためにも、食の道具に特化したミュージアムにしてはどうかと思ったのです」と内田はいう。しかしそうはいっても内田の考えるミュージアムとなれば一筋縄ではいかないだろう。若い頃から世界中を旅し、ものづくりの現場に滞在し、各地の骨董市を彷徨い、国内外で数多のものを見てきた内田には、長年に渡って培ってきた独自の審美眼がある。自身でコツコツ集めてきた様々な地域からの器や道具、骨董などの膨大なコレクションを所有する、いわゆる目利きである。

「今回の展示品は、私が今まで持っていたものもありますが、8割くらいはこの頃から新たに収集したものです。どんな展示内容になるのか、自分の頭の中では視覚化できていて面白いと思っていても、なかなか言葉で表現するのは難しく、説明しても最初は理解されなくて苦労しました。建物は素材感のあるシンプルな形で、あまり美術館、博物館といった色は強く出さず、それでも何か印象に残るような存在感を持ち、中に一体何があるんだろうと想像力を掻き立てるような、そんな場所を考えました」


取材時には、建物の中はまだがらんどうで何もない、真っ白な箱だった。しかし内田の頭の中には、既に展示のイメージがはっきりと浮かび上がっているようだ。この場所に並ぶのは、アフリカ、南米、ヨーロッパ、中国など、世界中のありとあらゆる地域から集まった、国籍も時代もバラバラの食にまつわる道具たち。紀元前のものもあれば、日本の戦後間もない頃のものもあるそうで、時代は幅広いが現行品は一切ないという。木、土、ガラス、金属など、素材の持つ質感を細やかに留意し、道具でありながらオブジェとしての造形の美しさ、ものの持つ圧倒的な個性や力強さなど、無為に心を動かされるような要素に着目している。世界各地の食の歴史・文化を知るための貴重な資料であると同時に、アートという視点でただ眺めているだけでも楽しめ、自然と心に響く何かがあるようだ。

「例えば、17世紀フランスの大きな木製のまな板、ガスや電気のない時代の日本のかまど、田舎の軒先で雨晒しのまま錆びてボロボロになった、どこの国かもわからない名も無き道具。蚤の市で安価に売っていたまるでゴミみたいなものから、博物館に堂々と陳列される希少価値の高いアートピースのようなものまで、多種多様に取り混ぜています。見る人の感性に委ね、ある程度自由にイマジネーションを膨らませてもらいたいので、あまり詳細な説明は入れません。展示の仕方も古い道具をただ資料的に並べるのではなく、ものの佇まいや風情、存在感などを生かし、まるでアート作品を見ているような雰囲気ある空間作りを手掛けたいと思っています」

内田によれば、展示品はいわゆる美術館や博物館にあるような一般的な展示用のガラスケースには入れず、アンティークの家具などを什器として見立て、組み合わせていくという。現代美術の展示を思わせる、インスタレーション的な要素も大いに取り入れる。また教育的側面にも配慮し、例えば子供達が社会見学に来て、これはなんのための道具だろう?と頭を働かせ、驚き、遊びながら自然に気付きや学びを得られるようなユニークなアイデアを散りばめたいと考えている。 


いにしえの道具の作り手に思いを馳せ、この場所を価値ある文化の発信地に

展示品のセレクトも、実際の展示の構成ディレクションも全て内田自身が行う。そうやって綿密に集められた、昔の食の道具にはどんな魅力があるのだろうか。 

「感覚は人それぞれだとは思いますが、古いものには時間の経過が内包されていて、朽ちても枯れても長い間生き残ってきた揺るぎない強さみたいなものがあると感じます。ものが持つ力に圧倒され、その背景を想像する楽しみがある。昔はきっとものを作るにも苦労があって、木を削ったり、金属を打ち出したりするのも大変だったろうから、その用途のために余分な要素がどんどん排除されて研ぎ澄まされていく。食の道具は、その時代を生きた人間が食べるために知恵を絞って今そこにあるものでできることをしたという証で、そういう潔さに惹かれ、面白いと感じます。今では複雑な機械も、最初はこんな道具から生まれてきたのかとか、人間の考え方はこういうところから出発したんだなとか、昔の道具に教えられることも多い。一方では何千年も前から全然変わっていない道具があったりして、それも面白い。また、国も文化も違う遠く離れた地球の反対側で、同じ時代に、その地域らしさや民族性を漂わせつつも、全く同じような発想のものが作られていることもあり、人種や環境が違っても、人間のすることはだいたい似ているんじゃないかと、深く考えさせられます。自分でも集めてみて改めて気付かされたことが多く、これは本当に勉強になると思いました」 


展示品は基本的に常設の予定だが、これからまだ増えていくこともあり、その後はこの場の雰囲気に合わせて臨機応変に調整していくそうだ。そうして時間をかけて少しずつ、周りの草木が育ち、人々の流れが落ち着きをみせた頃、建物がこの場所に相応しく馴染んでいけたらいい、と内田はいう。同時にここが文化の発信地となって、人やものが良い環境の中で出会い、感性を磨き合い、面白い何かが新たに生まれるような場所になれば、VISONとしての存在価値をさらにもう一段高める役割の一端を担えたといえるのではないだろうかと。

内田の話を聞くほどに、この場所は今までにない唯一無二のミュージアムであることを実感させられる。他ではなかなか体験できない未知の扉に、ただ期待は高まるばかりである。

20210402_00055_2_5.jpg

プロフィール

  • 内田鋼一(うちだこういち)

    1969年愛知県出身。愛知県立瀬戸窯業高校陶芸専攻科終了後、東南アジアや欧米、アフリカ、南米など世界各国を旅し、窯場に住み込み修業を重ねる。三重県四日市市と滋賀県高島市朽木に工房を構え、焼き物をはじめ、鉄などの様々な素材で作品を発表。国内外の多数の美術館やギャラリーで展覧会を開催している。2015年四日市市に〈BANKO archive design museum〉を開館(www.banko-a-d-museum.com)。商業施設のプロデュースやアートディレクションなども手がけている。



MENU