「そば打ちの神様」の系譜を継ぐ「伊勢 翁」。
香り高いそばを、上質な空間でいただく
- 文:石原由加里 写真:高杉亮
- VISON編集部
2022/08/01
日本の伝統食材の工房・専門店が集結する「和ヴィソン」に位置するそば処「伊勢 翁(いせ おきな)」。国内外の名店で経験を積んだ店主・伊藤愛三郎氏が、店づくりにおいて大切にしていることとは。
修行先を自らの足と舌で探索。実力が認められ海外へ
伊藤氏がそばの世界に飛び込んだのは23歳のとき。
調理師専門学校で学んだのちいくつかの飲食店に勤務したが、そば打ちに魅力を感じるようになり、そばの道を志すことにしたという。
「とはいえ当時は思いつきで、そばに関する知識はほとんどありませんでした。東京にもたくさん有名なそば店はあるけれど、産地に近い場所のほうが学べることが多い気がして。まずは、そば処として有名な長野県を拠点にしていろんな店をまわることにしたんです」
アパートを借り、2ヶ月間ひたすらにそばを食べ歩く日々。訪れた店で感じたことはすべて、写真とともにノートに記録していった。
50軒以上のそば店をまわり、ついに伊藤氏は運命の店と出会う。山梨県北杜市に位置する「山梨 翁」。「そば打ちの神様」との異名を持つ、高橋邦弘氏が立ち上げた有名店だ。
「絶対にここでそば打ちを習いたい」。
そう決意した伊藤氏が弟子入りを懇願すると、師匠からは「今は募集していないから半年後においで」との回答が返ってきた。
「なのに、次の日にまた『弟子入りさせてくれ』ってお願いしに行ったんです。そうしたら『しつこいな君は』と言われて(笑)、翌日から働かせていただけることになりました」
当時、山梨 翁には全国からそば打ちを学びたい人たちが集まっており、多い時には8人の弟子がいたことも。
しかし、朝は早く夜は遅いその生活に、音を上げて店を去る人は少なくなかった。
弟子入りから5年。愚直に真摯に仕事に向き合い続け、そば職人として認められ始めた伊藤氏に転機が訪れる。
高橋邦弘氏が監修を務めるパリの日本食レストラン「YEN」がロンドンに出店することとなり、伊藤氏は自ら、現地スタッフとして参加したいと手を挙げたのだ。
「ビザの関係でイギリスには3ヶ月しかいられませんでしたが、その後はパリの店で働くことになりました。それから1年ほどが経ったころ、VISON社長の立花さんとパティシエの辻口さんに偶然パリでお会いして、『VISONに出店しないか』と声をかけてくれたんです」
2人から、師匠の推薦で訪れたと聞いた伊藤氏は二つ返事で出店を決意。食・文化・アートの継承を掲げるVISONのコンセプトに強く惹かれたのも、挑戦をあと押しする決め手となった。
そばの香りを最大限に引き出す「完全自家製粉」
山梨 翁をはじめ、高橋邦弘氏の系譜を継ぐそば店の特長は「完全自家製粉」にある。もちろん伊勢 翁も例外ではなく、全国から選りすぐった玄そば(殻つきのそばの実)を店内で製粉して使用している。
「自家製粉」をうたう店は少なくないが、実のところ、殻や不純物を取り除いた実を仕入れて石臼で挽いている店がほとんどだ。
そばの香りは揮発性のため、殻を剥いだ瞬間からどんどん香りが飛んでしまう。そのうえ、ストレスを受けたそばの実は、劣化の原因となるガスを放出する。だからこそ「そばの製粉は管理が命」だと伊藤氏は言う。
「山梨 翁で初めてそばを食べたとき、それまでに食べてきたそばとは比較にならないほどの強い香りに衝撃を受けました。完全自家製粉は多くの時間と手間が必要ですが、自分の店を出すときにそれを妥協する選択肢はありませんでした」
店内の製粉スペースには、実を磨く機械、殻を取り除く機械、粒の大きさを仕分ける機械など7つもの専用機器が並ぶ。毎日朝早くからその日に使う分を粉にし、最後に、不純物が混じっていないかを必ず人の目で確認する。そうしてやっと、そば打ちに取り掛かることができるのだ。
「よく言われることですが、そば打ちって本当にその時の心の状態があらわれるんです。同じ粉、同じ水分量でも、打つ人によってまったく違うそばができあがる。だから、健康面でも精神面でも、できるだけ波のない状態を保てるよう心がけています。
修行ではもちろんそば打ち技術も学びましたが、それ以上に『思考する』習慣を身につけられたことが大きかったと思います。師匠や仲間の言葉や行動にはどんな意味があるんだろうと考える姿勢が、自分を大きく成長させてくれました。
現状に満足せず、もっとおいしいそばを打つために必要なことはなんだろうと思考し続けたいと思っています」
VISONの空間に溶け込む店舗づくりを
伊藤氏が「伊勢 翁」をオープンするにあたって意識したのは、日本のクラシカルな雰囲気と現代らしいスタイリッシュさをバランスよく取り入れること。そばが好きな人々に愛される店づくりを意識するとともに、そばになじみのない若い世代にも気軽に来てもらえる空間にしたかったと言う。
「あとは、『場所に溶け込む』という視点も重視しました。VISONという、自然に囲まれた環境になじむように、と。
そうした考えは、パリで働いているときに感じたことかもしれません。特にパリの中心部は、店と街全体が一体化していてとても心地がいいんですよね」
伊藤氏のこだわりは、インテリアや器にも見ることができる。飾り棚に並ぶのは、伊藤氏が時間をかけて買い集めてきた江戸時代のそば猪口や徳利の数々。店内で使用する器は、秩父の陶芸作家・丸山瑛示氏の作品だ。淡い灰色の顔料で描かれたさまざまな種類の植物はどれも繊細で美しく、客から「この器はどこで購入できるのか」と声をかけられることも。壁には、同じく丸山瑛示氏の水墨画が飾られている。
自分の店を構えてから約1年。次の伊藤氏の目標は、そば栽培に挑戦すること。
「三重県に移住・出店すると決めたときから、自分の手でそばを育ててみたいという気持ちはずっとありました。近い将来、自分が育てたそばの実でそばを打つことができたらうれしいですね」